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宇都宮地方裁判所 昭和39年(わ)297号 判決 1965年3月09日

被告人 五十里国明

昭一九・九・二五生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、友人数名と共に日光見物に来て、冷酒を飲んだり、ビールをラツパ飲みしたうえ、

第一、東京都公安委員会から普通自動車仮運転免許を受けている者であるが、昭和三九年一〇月一一日午後四時三〇分頃日光市山内二一八一番地附近の東照宮表参道において、同所は交通頻繁であり、かつ、運転者席の横の乗車装置に当該自動車に係る第一種免許または第二種免許を受けた者を同乗させその指導の下に運転することなく、普通貨物自動車(栃4そ4898)を運転し、

第二、呼気一リツトルについて〇、五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、前記日時場所において、前記自動車を運転し、

第三、前記日時場所において前記のとおり仮運転免許資格しかないのに、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にあつたのであるから、自動車の運転をしてはならない注意義務があるのに、あえてこれを怠つた重大な過失により、エンジンを始動させ、強くアクセルを踏んで車を後退させて自車後部を歩行中の荻田善三郎(当時六六年)に衝突、転倒させ、よつて同人に対し、昭和四〇年二月一五日現在なお治療中の顔面、左耳翼両手部挫創、左肩部脊部打撲傷、右膝部、下腿部挫傷の傷害を負わせたものである、

というのである。

右公訴事実のうち、被告人の責任能力の点を除いては、検察官の挙げた

一、司法警察職員作成の捜査報告書、現行犯人逮捕手続書、第一回及び第二回各実況見分調書、写真撮影報告書、飲酒検知器使用結果報告書

一、荻田善三郎、荻田コト(二通)、福原茂二、福田右一の各司法警察職員に対する供述調書

一、証人田井茂、同皆川興治の各証人尋問調書

一、医師河合常雄作成の診断書、検察事務官作成の電話聴取書、荻田善三郎の書簡並に医師加賀定一作成の診断書

を総合するとこれを認めることができる。

弁護人は、被告人の右の所為は、心神喪失中の所為かさもなくば心神耗弱者の所為であると主張する。

被告人が本件行為当時飲酒酩酊していたことは明らかであり、事件後約二時間の同日午後七時二分頃において呼気一リツトル中のアルコールが〇・五ミリグラム以上であつたことは、飲酒検知器使用結果報告書及びこれに添 付の鑑識カードの記載により明らかであるから、右行為の当時は、それがどの程度であつたかは確認する術はないが、これ以上のアルコールを呼気中に含んでいたものと推定できる。

しかして、被告人は、行為後約四十分乃至五十分の同日午後五時二〇分頃日光警察署において弁解の機会を与えられ、その際、「ただいま聞かされましたが私は酒に酔つていたのでよく判りません、そういわれれば今日の夕方時間は判りませんが友達と四人位で日光の東照宮入口附近を歩いているとき、仕事をやつておつた土方と喧嘩みたいになり、私が止つていたトラツクみたいな車に乗り車をバツクさせ、そのため通行人をはねたように思います、詳しいことは後で話します。弁護人が頼めることについては判りましたよく考えてからにします」。と司法警察員に対して述べて、その末尾に「国士館大学二年五十里国明」と署名指印している。

被告人は、当公判廷において、右のような弁解の機会を与えられたこと、並に前記飲酒検知器使用の事実についても記憶喚起不能なる旨を申し立てており、果して真に記憶喚起が不能なのか、或いは否認のための否認をしているのか判然と確定し難い。

そこで、この点を更に被告人の行動自体から解明しようとしても、被告人の供述が得られないので被告人が前記自動車を運転するに至る動機を十分明確にすることができない。

捜査の段階においても勿論この点を問題にしたものと考えられ、被告人の司法警察員に対する供述調書第十二項には皆川興治と土方が口喧嘩を始めたので「僕は思わず恐しくなり、相手が悪いから逃げちやおうと思つたのか知りませんが、恰度その辺りに駐車していた小型トラツクの運転席に飛込むが早やくエンジンを掛けて車を走らせたのですが、それからのことは車がどの様に走つてどこに突き当つたのか又他人様をどうして轢き倒してどうなつたなどということについては全然覚えがなく気がついたときは日光警察署の二階の捜査室ではめられていた両手錠が手首にくいこんで痛いのに始めて気がついたようなわけです」と述べている。

これによつてみても、被告人は、自動車を発進させたことの記憶だけはあるようにも思われるが、それとても明確でなく、ましてその動機については、右の取調を受けた当時においても不明であつて、「その場から逃げちやおうと思つたのか知りませんが」というのは取調を受けている当時の被告人の推測を述べているものと考えられる。

右の供述調書は同月一三日のものであるから、その間の睡眠等により追想不能のこともあり得るが、右の調書と前掲の弁解録取書の記載内容とを総合すると、犯行直後約四十分ないし五十分後においても、被告人はその間の事態を真実追想不能であつたのではないかと疑う余地が十分であると思われる。

一方、被告人は、前記のように飲酒酩酊していたのであるから、いわゆる病的酩酊に陥つていたのではないかと疑う余地はかなり高い。被告人は余り飲酒歴はないようであるが、当日の飲酒量は被告人の供述によれば、日本酒約三合位とビール若干であり、証人皆川興治の証人尋問調書によつても約五合である。しかも相当長時間に亘つて飲酒していたのであるから、本件行為時になつて突然アルコールの血中濃度が高揚したものと考えることはかなり困難であるが、被告人がバスを降りてから表参道に来る途中ビールを、それが極めて少量であつても、ラツパ飲みをしたとすれば或いは本件行為直前に急激にアルコールの血中濃度を増大させることがあり得ないとはいえない。つまり、被告人に病的酩酊に陥る素質があつたものと仮定すると土方との喧嘩という不慮の事態の発生によるシヨツクを契機として、病的酩酊に陥る可能性がなかつたとは云えない。

他方病的酩酊に陥つたとしても、もちろんその態様にもよるが、自動車の運転、殊にその発進だけならば仮免許まで受けた被告人のような者にはそれが絶対に不可能とは断定し得ないし、また調書の署名も不可能ではないものと考えられる。

このように見てくると、被告人が、自動車に乗つた直後から警察署で捜査を受けるまでの間、全健忘の状態に陥つていることもあり得るわけであるから、被告人の記憶喚起不能の弁解を強ち否認のための否認とのみきめつけることもできない。

そうだとすると被告人の本件行為時の責任能力については心神喪失であつたのではないかとの合理的な疑の余地があるものであり、この疑問は前掲被告人の供述調書二通を含む検察官挙示の全証拠を検討しても払拭し切れないので検察官の立証をもつてしては、被告人の当時の責任能力が正常人と同一か少くとも心神耗弱の程度に止まつていたものとの立証が不十分ということに帰着し、結局犯罪の証明が十分でないので、刑事訴訟法第三三六条により無罪の宣告をすべきものである。

(裁判官 福森浩)

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